小島勇司さんインタビュー

Vol.2

登場人物「関」のモデル

小島勇司

【サックス奏者・ご当地ソングライター】

 

「本場で学んだジャズを地元の岐阜に浸透させたい」

 柳ケ瀬商店街のご当地ソング「柳ケ瀬ルンバ」や各務原キムチのイメージソング「キムチの気持ち」を制作(作詞・作曲)したジャズサックス奏者の音楽家・小島勇司さん。実は、やななのデザインは小島さんが提案したという。やななの活動に関わるようになったきっかけ、岐阜を拠点とした音楽活動、そして今後の展開についてお話をお聞きしました。

Q.現在、楽曲制作や音楽教室(シャルテ音楽教室:各務原市)などを中心に活動をされていますが、これらの活動を始めたきっかけについて教えてください。

A.はい。まず、音楽を始めることになったのは両親の影響です。父はギター、母はフルートと両親共に楽器を演奏していたんです。それで幼少期でもできる楽器の一つがピアノで、「まずはやらせてみよう」ということでピアノ教室に入ることになりました。小学6年生まで通っていたので6年間習っていましたが、一旦教室はやめました。中学生になって、コーネリアスさんやカヒミ・カリィさんなどの渋谷系といわれるアーティストが流行り、再び音楽に興味を持ちだして中学、高校では吹奏楽部に入りました。それと同時に高校生でバンド活動も始めたんです。

〈音楽の話になると口調に熱がこもってくる小島さん〉

Q.学生時代から音楽に打ち込んでいたんですね。現在のように、音楽を仕事にしたい、と思ったのはいつですか?

A.将来の仕事と考えて動いたのは高校生の時。当時のJ-POPではサックスがフィーチャーされた曲が多かったので、将来の仕事につながるかもしれないと思ってサックスを始めたんです。まぁ、サックスがたまたま空いていた、というのも理由の一つですが(笑)。そこからは音大に進み、卒業後、ヤマハ音楽教室に就職しました。

Q.サックスとの運命的な出会いは高校生だったんですね。就職されてからの音楽家として独り立ちするのはどういった経緯があったんですか?

A. 就職してから、音楽教室の講師として毎日生徒さんにレッスンをしていました。おかげさまで、多くの生徒さんを教えることができましたが、その中で、やはりサックスの演奏やバンド活動、楽曲制作もしたいという気持ちが強くなりました。そのころに出会った韓国の留学生と交流し、いろんな話を聞いて「まだ見ていない世界を見てみたい」と意を決し、ジャズの本場であるニューヨークへ行きました。そこから、今につながっていきます。

Q. 学生時代からやりたかった音楽の道に進むことになったのですね。やななの活動に関わるようになったきっかけを教えてください。

A. きっかけは、やななの活動準備をしていたころの柳ケ瀬商店街ご当地ソング「柳ケ瀬ルンバ」の制作に声を掛けていただいたことです。鬼マネ・佐藤さんとはやなな活動以前にストリートミュージシャン仲間のつながりで知り合いましたが、各務原キムチのイメージソング「キムチの気持ち」を制作したことから、FMわっちのご当地ソング企画に参加していたため、ここで佐藤さんから声が掛かりました。「やながせルンバ」制作には、当時の柳ヶ瀬商店街の様子、昭和の雰囲気が漂う感じを子どもにも歌ってもらえるようなポップに仕上げて提案したところ、採用されました。

Q. ご当地ソングといったら小島さんというくらい有名でしたね。「やながせルンバ」の制作者であるのと同時に「やなな」のキャラクターデザインを提案されたとのことですが、どのようにしてデザインを制作されたんでしょうか?

A. やななのデザイン会議を事務所でしていたところを耳にし、その場でイラストを描いて提案したところ、佐藤さんは「いーやん」と言ってくれて決まりました(笑) 当時はひこにゃんなど、猫キャラでかわいいデザインが流行っていたので、今までにない設定のキャラクターがあってもいいのではと、違った角度から考えて、思い浮かんだのが人魚だったのです。これを会議で披露したところかわいいと反響があり決まりました。このあと実際に着る試作品を1万円で頼まれたのですが、どうしようか悩んでいましたが、偶然にも当時ゴージャスモンキーズ(バンド)のサックス奏者が被り物をしていたところからひらめきました。そのサックス奏者にお願いしてできたのが、段ボールの被り物です。あの頃は、実際に自分で被っていい出来だなと思いました(笑)。

Q. 奇抜なデザイン誕生にはそんな秘話があったんですね(笑)。小島さんはやななが活動開始してからはどのような関わりがあったんですか?

A. ご当地ソングの制作や演奏、個人レッスンもしながら、やななの引退ごろまでスタッフとして活動していました。

Q. 引退を知ったときはどう思われましたか?

A. 驚きましたね。でも、同時に思ったのは、正直「もっといけるんじゃないかな?」と思いました。個人的にはふなっしーぐらい人気が出たのでは? と思っています。

〈「大人も子どももジャズを楽しんで欲しい」と語る〉

Q. 小島さんの音楽活動の今後の展開を教えてください。

A. 今後については、やはり“楽しむ音楽”をもっともっと広めたいと思っています。まだまだジャズは大人向けの音楽というイメージが強いと思いますが、子どもでも楽しんでもらえるようにしていきたいです。僕が本場で学んできたジャズを、大人も子どもも楽しめるジャズとして、地元の岐阜に浸透させていければと考えています。

Q. ありがとうございます。最後にやななに向けてひとことお願いします!

A. 本当にお疲れ様でした! もし復活することがあれば、もう10年頑張ってください(笑)。

―やななに関することだけではなく、音楽家として、また地元での音楽活動の想いをお聞かせいただきました。小島勇司さん、ありがとうございました。